東京御茶ノ水の文化と”ものづくり”を訪ねる -湯島聖堂

前回の神田明神に引き続いての2回目は、湯島聖堂です。
このまちでは暮らしや価値観の変化に合わせて、”もの”が何度も人の手を加えられ、現代に息づいています。

聖獣が棲む湯島聖堂は学校教育の原点

江戸時代初期の1632年に、儒学者 林羅山により建てられた孔子廟が起源とされます。
1700年、幕府が直轄学校 昌平坂学問所として移築、開設しました。
明治維新後は文部省や大学が置かれ、日本初の万国博覧会もここで開催されました。
それが現在の東京国立博物館、東京大学、お茶の水女子大学、筑波大学へと発展します。

日本の学校教育の原点ともいえるこの空間には、中国文化の影響を色濃く感じます。
元より学びはさまざまな文化が交じり合い生まれるもの、と改めて教えられました。

湯島聖堂の入徳門から見る大成殿

湯島聖堂の入徳門から見る大成殿

門の名前の由来は、大学 朱熹(しゅき、尊称は朱子)章句の一節
「子程子いわく、”大学”は孔氏(孔子とその門下)の遺書にして、初学の徳に入いるの門なり。」にあるそうです。
儒教での徳とは、五徳(仁・義・礼・智・信)のこと。
大成殿(孔子廟の正殿)を臨み、後の日本を支える人々がここに集う姿を想像しました。

入徳門に座る鬼龍子のまなざし

入徳門に座る鬼龍子のまなざし

入徳門をくぐると、鬼龍子(きりゅうし)が諸所の屋根からじっと見下ろしていました。
孔子のような聖人の徳に感じて現れる、体に鱗を持つ聖獣です。
「君子は義に喩り、小人は利に喩る」
現代のビジネスが飛び交う大都会の空で、彼らは一体何を思うのでしょう。

湯島聖堂の周囲に連なる築地塀

湯島聖堂の周囲に連なる築地塀

湯島聖堂の周囲には趣のある築地塀が続きます。
よく見ると瓦と突き固めた土を交互に重ね、手間をかけて作られています。
北斎や広重の浮世絵にも描かれ、人々に愛されてきたことが分かります。

コメントをどうぞ