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これまでの歩み

夢中で生きてきたけれど、振り向くと失ってきた反対側の人生がありました。

職業キャリアの始まり

男女雇用機会均等法が施行された初めの頃、製造業の女性総合職としてキャリアを始めました。
職場環境がまだまだ専業主婦がいる男性が前提だったので、わたしは出産を機に退職した夫に子供たちを託し、父母逆転の格好で働くことになりました。

工場の機械設計から転身し、デジタルエンジニアリングのサービス事業を開発しました。
それから製造業向けに生産システムの企画やプロジェクトマネジメントを最上流で担いました。
そのどれもが新規製品、新規事業だったので、仕事は面白くて充実していました。
しかし、その一方でますます家族との時間が限られ、わたしは仕事人間に陥っていったのです。

バーンアウトによる転機

そんな時、あるお客さまが人員整理をするための、システム導入を担当することになりました。

製造業は今でも生産性の向上を至上命題にしています。
確かにかつては設備投資をしてより少ない人手で大量生産すれば、企業の競争力は高まりました。
しかし消費が伸びなくなった今でも、社員をデジタル化した機械に置き換える動きは長く続いています。
これでは退職者が増えるばかり。
社会全体で見れば所得が減り、もっと消費が停滞します。

解決にはならないのです。
1995年から2015年の20年間で、製造業の雇用の約3割にもおよぶ400万人が職を失っていました。

職のために、そんなことに加担するなんて…
自己矛盾に陥り、仕事が手につかなくなりました。
経済成長のための”ものづくり”に、つくづく限界を感じました。
それまでは一生懸命働けば、自分も社会も豊かになると信じてきました。
しかしわたしがやってきたことに、何の意味があったんだろう?

身の回りの退職者には学校入学から会社勤めに至るまでずっと、上位下達式の管理型教育に従ってきた人が多くいました。
彼らは外に出て社会で失った役割を紡ぎ直そうとしないのです。

わたしも紙一重だと思いました。
それどころかこのままでは、社会全体が大変なことになると思いました。

ソーシャルビジネスの立ち上げ

どうしたら技術者が幸せな生涯が送れるだろうと、模索し続けました。
できるものなら”ものづくり”を愛する人たちの、受け皿になりたいと思いました。
そうして何年かあがき続けたのちに地元つくばのまちラボという市民活動の支援団体にたどり着き、
彼らのお力を借りて小学生の親子に”ものづくり”を体験していただく、小さなイベントの開催にこぎつけたのです。

この経験は退職技術者を苦しめていた管理型社会の罠が、いまの親子をも苦しめていることを、わたしに教えてくれました。

仕事のために限られた家族との時間では、かつてのように子どもたちが大人から”ものづくり”を習うことがすっかり減っていました。
それでも作品を手作りして遊ぶこの日の体験を、参加者もサポーターの技術者たちも、「楽しい」「またやりたい」と言ってくださいました。
わたしはこれが、これからの本当の”ものづくり”のあり方なんだな、と気づきました。

今後ともみなさんと、「ものづくりの喜び」を分かち合っていけたらと思います。

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