娘が界隈の大学に通っているご縁で、東京御茶ノ水を撮影に訪れました。
このまちでは暮らしや価値観の変化に合わせて、”もの”が何度も人の手を加えられ、現代に息づいています。
これから3回に分けて、わたしの体験をお伝えします。
神田明神にみる”ものづくり”の在り方
平将門を祀るため、730年に大手町に創建されました。
江戸時代に入った1616年に、江戸城表鬼門に当たる現在の地に遷ります。
関東大震災(1923年)により焼失しましたが、1934年には東京の人々の手により再建されます。
こうした困難を新たな原動力として積極的に活かしてきた、逞しさを感じます。
1300年の歴史と現代の建築・造形技術が交わる、東京らしい神社です。
神田明神 随神門の輝き
撮影した1月12日は、まだ初詣に訪れる参拝者で賑わっていました。
この日初雪の東京の曇り空に、豪華絢爛な造形が際立ちます。
20年前の塗り替えとは思えない鮮やかな発色。
どんな人たちがどうやって施工したのだろう、と思いを馳せました。
社殿を護る狛犬の雄姿
社殿は実は鉄筋コンクリートです。
それと分からない造りにするよう、設計者は腐心したとのことです。
そのため火災を免れ、1945年の東京大空襲をも耐えました。
古いものを遺すだけ、新しいものに置き換えるだけ、が正しいのではないと考えさせられます。
逞しい体つきの狛犬が境内に睨みをきかせています。
天野屋さん軒下のノスタルジックな風景
参道入口の天野屋(1846年創業)さんの軒下には、ノスタルジックな風景が残っていました。
この日も店頭では初詣客に名物の甘酒を売る声が飛び交っています。
お店の地下にある室で、昔通りに麹から作っているそうです。
神田明神と共にある、門前町の生き様を今日に留めます。
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