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つくば北条の町並み -旧田村呉服店(北条ふれあい館)

つくばのまちづくり支援団体「まちラボ」から、つくば市北条地区商店街の方々をご紹介いただく機会がありました。
北条はつくばでも特に歴史が古い、筑波山神社の門前町です。
研究学園都市だけではないもう一つのつくばの姿をお届けしたいと、カメラ片手にお邪魔して参りました。

旧田村呉服店の瀟洒な佇まい

旧田村呉服店(北条ふれあい館)全景

つくばの古都 北条商店街の一角に、ひと際趣のある古い町屋があります。
国の重要文化財にも指定されている、旧田村呉服店です。
現在は店先が「北条ふれあい館」として開放され、市民の憩いの場になっています。
この日は豆まきや餅つきなどのイベントがあるため、近隣の方々で賑わっていました。

黒漆喰に映える鮮やかなベンガラの手すり

撮影対象を探していると、
「二階の雨戸を開けましょうか?」お住いの方が声をかけてくださいました。
「この黒い壁は変わっていますね。」とお訊ねすると、
「これは黒漆喰なんです。」と。
あとで調べると、「黒漆喰」は左官の中でも特に技巧を必要とする珍しいものだそう。
江戸時代に流行して江戸の町を彩ったため「江戸黒」とも呼ばれます。
蔵のまちで有名な川越の蔵の壁にも、この黒漆喰が施されています。
こちらでは町屋の壁に使われ、繊細な意匠のベンガラの手すりを引き立てています。
当時の流行の先端をいくモダンな店構えだったのでしょう。

石灯篭に射す冬の日差し

お店の脇にある庭に冬の光が差し込み、鹿の意匠の石灯篭を照らしていました。
春日灯篭という奈良の春日大社が由来のもので、それに関係するものを彫るそうです。
筑波山神社の門前町だけに信仰の篤さが感じられます。

店先に残る往時の面影

レトロな呉服店の看板

軒下には呉服店の看板が残っていました。
辺りが暗くなっても、看板の灯りを目印に来た買い物客で賑わっていたのでしょう。

玄関上のバスの時刻表

店内に入ると半間ほどの土間があり、その先は膝丈の畳敷きの上がり框になっています。
顧客はここに腰掛け、さまざまな反物の品定めをしていたのでしょう。
時には夢中になって帰る時間を忘れてしまうので、店主がさりげなく玄関上にバスの時刻表を掲示したのかもしれません。
往時の店のやりとりが聴こえてきそうです。

今も残るビジンのポスター

直球のキャッチフレーズのポスターを見つけました。
いつの時代でも女性は新しい服を着ると、キレイになった気がしたのですね。

時を刻んできた時計

お店の奥にはゼンマイ式の柱時計が現役で働いていました。
近隣で盛んな稲作や養蚕の集散地としてその輸送を支えていた筑波鉄道が、1987年廃線になりました。
自動車の普及や学園都市建設に伴う大型商業施設の進出が背景にありました。
商店街の土蔵造りの店舗も次々と姿を消しました。
そうしたまちの暮らしの移り変わりにあっても、時計はいまも変わらず時を刻み続けています。

竜巻と震災を超えて

竜巻被害復興を願うゴブリン

2012年5月、巨大な竜巻がこの北条地区を襲いました。
旧田村呉服店も玄関のガラスが飛び散り、全て張り替えたそうです。
よく見ると付近には飛散物が刺さった跡がまだ生々しく残っています。
「生きた心地がしなかったのではないですか?」そう尋ねると、
「いえ、何が起こったのか全然解らなかったんですよ。」
「通り過ぎたあと外に出てみると、もう町中が滅茶苦茶でした。」
このゴブリンは飛散した地図や建具を利用して、復興を願う子ども達が作ったものです。
ユニークな顔立ちで格子の部屋に収まる様子は、まちの一人ひとりを表しているのかしら、と思いました。

七段飾りのひな人形

北条は2011年の震災の時も被害が大きかったところです。
古い建物に加え、高齢化も進んでいます。
それにも関わらず、餅つきには近隣の若者たちが手伝いに訪れていました。

後日改めて訪れたときは丁度、近所の方々によるひな人形の飾りつけが終わったところでした。
来訪者が楽しめるようにという心遣いです。
「北条ふれあい館」に役目を変えた今でも、この店先は人々のつながりの場として生きています。

参考資料:
つくば道北条さんぽ:http://www.tsukuba-hojo.jp/index.php
長 秋雄, (2014). 筑波花こう岩と旧筑波街の歴史, GSJ 地質ニュース Vol.3 No.6 183-189
シティ環境建築設計:http://citykankyo.umu.cc/report/kura-15.htm

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